蕗谷虹児の生涯

蕗谷虹児の生い立ちから最期までを紹介します。

蕗谷虹児の生涯一覧

蕗谷虹児の略年譜
蕗谷虹児の辿った人生を年譜で振り返ります。大正から昭和にかけて挿絵画家として活躍した人生でした。
蕗谷虹児の幼少期
蕗谷虹児は、明治31年、父20歳、母15歳という若い両親の長男として新発田町(現新潟県新発田市)に生まれました。家計が苦しかったため、病弱だった母は、髪結いの仕事をしたりしていました。蕗谷虹児は、その母の傍らで、髪結いで美しくなっていく女性を眺めながら育ったと言います。その母は、虹児が12歳の時、27歳という若さでこの世を去ります。14歳の時、上京して尾竹竹坡の画塾で学ぶことになります。
上京~樺太漂浪、竹久夢二との出会い
蕗谷虹児は、上京して約5年間、尾竹竹坡のもとで日本画を学びます。その後、樺太に渡り、約2年半、放浪画家生活を送ります。樺太から故郷に戻り、再び上京します。そして、大正9年、蕗谷虹児は、あの竹久夢二を訪ねます。竹久夢二との出会いが、蕗谷虹児にとってのターニングポイントでした。その後、挿画家としてデビューを果たします。全国的にも名前が知られるようになりました。
パリ留学~帰国、そして最期
大正14年、蕗谷虹児はフランスのパリに留学します。美術展に連続入選を果たし、個展も開催します。戦争が終わると、復興した各誌に再び描き始めます。自画伝「花嫁人形」、「蕗谷虹児抒情画集」を出版、「画業50年記念抒情画展」を開くなど、晩年も精力的に活躍しました。昭和54年、中伊豆温泉病院で心不全にて死去。享年80。
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