蕗谷虹児の略年譜

蕗谷虹児の辿った人生を年譜で振り返ります。
大正から昭和にかけて挿絵画家として活躍した人生でした。

明治31(1898年):
 ●12月、新潟県新発田市に生まれる。

大正2 (1914年):
 ●15歳で上京し、尾竹竹坡の八華会絵画研究所で学ぶ。

大正8 (1919年):
 ●樺太漂浪から帰京し、21歳で竹久夢二の紹介で「少女画報」に挿絵を描き、デビューする。

大正10(1921年)~大正14年(1925年):
 ●朝日新聞連載小説の挿絵で人気挿絵画家になる。「令女界」「少女倶楽部」などの表紙絵や口絵、「銀の吹雪」「孤り星」「二つの幻影」「睡蓮の夢」「悲しき微笑」「銀砂の汀」「雫の真珠」「私の画集」「私の詩画集」などの詩画集を出版。

大正14(1925年)~昭和4(1929年):
 ●パリに留学。サロン・ナショナル、サロン・ドートンヌに入選。個展をシヴイ画廊で開催する。

昭和4 (1854年)~昭和9年 (1934年):
 ●パリから帰国し、「少女画報」「令女界」の表紙絵を描く。

昭和10(1935年):
 ●詩画集「花嫁人形」を出版。

昭和21(1946年):
 ●「少女クラブ」など再び各誌に描き始める。

昭和42(1967年):
 ●自画伝「花嫁人形」出版。

昭和43(1968年):
 ●「蕗谷虹児抒情画集」出版、新宿小田急百貨店で「画業50年記念抒情画展」を開く。

昭和54(1979年):
 ●中伊豆温泉病院で心不全にて死去。享年80。


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